小説書きたい。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
読み手の感情を揺り動かす小説が書きたい。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
ボドゲって、基本的に「楽しい」しか無いじゃないですか、表現媒体として、貧弱じゃないですか? かなしい とか 無いですよね。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
ボドゲは表現媒体として貧弱だから著作未満とされているんだよ説 と言うのが俺の中にあって、
— はち (@putsbee) September 23, 2019
表現媒体としてのボドゲの表現の幅がもっと広くあれば、ボドゲは著作物として認められるんじゃないかと思う。技巧やシステム方向でなく、どこまで多種の感情や思想etcを込められるか という方向で、もっと広くあれば。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
はちさんであれば、書けると思います。
— 大地 鷲@四流小説家もどき (@eaglearth_) September 23, 2019
「ボドゲには楽しいしかない」とおっしゃいましたが、小説等に比べて時間が短いからじゃないかと。
小説ですと喜怒哀楽のすべてを放り込めますが、それは長い時間だからであって、最後はどんな感情であれ「満足感」で終わります。ボドゲもそこは同じに思います。
ボトゲの場合はよほど上手くやらないと、長くて苦しいだけのゲームになってしまい、終盤でマラソンのような爽快があったとしても、クソゲー認定されて売れません。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
そゆ意味では、小説よりもボドゲの方が作るのが難しいんですよ。
— 大地 鷲@四流小説家もどき (@eaglearth_) September 23, 2019
更に、小説は一人ですので、速度もコントロールできる。でも、ボドゲは相手がいるものですから、それが難しい。
読み飛ばすとか、そゆのができませんものね。
共同作業である点が大きな違いでしょうか。
あらゆる作品(即興な例外)はタイムカプセルなんだよ説明が自分の中にありまして。タイムカプセルを開けた時の再生環境に依存するほどに、作者の意図で再生されない。大枠は再生できても、細部が駄目。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
小説は作者独りで完結しますが、ボドゲはプレイヤーがあってこそですものね。プレイヤーにそれとなく作者の意図を気付かせるのが難しいところですねー。小説の場合、受け入れられるかどうかは別にして、作者の意図は全部晒すことができますからねー(・ω・)
— 大地 鷲@四流小説家もどき (@eaglearth_) September 24, 2019
負けた時の悔しさはどんな名作文学でも起こすことはできないのでは
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
涙、うぉんうぉん出ますか?
— はち (@putsbee) September 23, 2019
涙は出ませんが、特有の苛立ちは文学作品では得られないものかと
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
その連珠の苛立ちはわかりますが、私にとっての表現の「外」ですね。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
それいうなら楽しいも表現の「外」では
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
なぜ楽しいは表現として許容されるんでしょうか?
ボトゲの楽しいは、多くの場合、「こう作れば楽しかろう」と作者が【狙った】結果で、連珠の負けて悔しいのは単なる敗北から来る悔しさです。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
ちょっと訊きたいんですが、何故連珠?
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
私は連珠プレイヤーではないんですが
そして、負けて悔しいにも(アブストラクトでないボドゲの場合)作者の意図は介在しますよ
そのボドゲ設定・ストーリー性の“作者の意図”の上で「楽しむ」「負けて悔しい」といった感情が生まれてくるわけです
ある連珠プレイヤーと名前が酷似しているので混同していたかもしれません。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
いずれにせよ、連珠(というアブストラクト)に限定して敗北を論ずるのは無理があると思います
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
敗北はほぼ全てのボードゲームに存在するのですから
あなたはボドゲの設定(カタンでいえば開拓要素)に沿うことを「楽しい」と認識しており、それは構わないのですが、反面「負けて悔しいのは連珠だけ」と、アブストラクトに限定して論じているあたり、議論の厭らしさが感じられます
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
カタンで負けて悔しいのは作者の意図と離れますか?
楽しいとの差は?
多くのボドゲは人を楽しませるように作られています。敗北の悔しさは、そのボトゲを作るにあたって、表現の外に切り捨てられた必要悪と言えるかもしれません。勝負という特性が鋭いゲームならなおさら。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
あと、差し支えなければ今まで感動した小説・文学などお教え下さらないでしょうか
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
特定のこの作品が好きだ! というのはありません。ボトゲも音楽も、やり過ぎたり聴きすぎたりして受け手として純真では無くなっています。 映画に関しては一受けてなので、最近観たところだと「天気の子」で泣きました。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
小説に関して話しておられたので、活字での論を聞きたかったのですが…
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
まあいいです
お疲れさまでした
ここで玉ちゃん@陣形棋師家@jinkeiki_shiji は、私に対してブロックを行い、ブロックとタイミングが重なった小説に関する私のツイートがかき消される
「読み手の心を揺り動かす小説を書きたい」
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
「ボドゲは表現媒体として貧弱」
というボドゲ人間がいたが、話してみるとすごい薄っぺらいので、嫌な予感がして「好きな小説は?」と訊いたら、何故か「天気の子の映画」と返ってきた
以前からボドゲクラスタの教養の無さを案じていたが、これは酷い
いや、小説書きたいというならまず本読みましょうよ
— 玉ちゃん@陣形棋師家 (@jinkeiki_shiji) September 23, 2019
本まともに読んでない状態で、ボドゲと小説比較するのもやめましょうよ
玉ちゃん@陣形棋師家 @jinkeiki_shiji という人のやり口がだいぶひどくて、自分にとって生産的な流れでないと見るやすぐさま、ブロックしてこちらの発言を遮り、独檀状態で自分的まとめされる方。ひどくない?(笑)
— はち (@putsbee) September 23, 2019
ブロックし返したけどさ。
— はち (@putsbee) September 23, 2019
玉ちゃん@陣形棋師家 @jinkeiki_shiji 、ヤベー。