ゲームマーケット2021春のブーススタッフを公募します。

ゲームマーケット2021春が近づいてまいりました。

トイドロップとして、土日とも出展します。

今回のブーススタッフ、今現在、土日とも私を含めて3名集まっているのですが、定員は4名です。土日とも、あと1名分空きがあります。ということで、ブーススタッフを募集します。

・4月10日(土):1名

・4月11日(日):1名

※土曜だけ/日曜だけ入っていただいても、土日とも入っていただいてもかまいません。

定員いっぱいまで集めて、ブースには適宜入れ替わりで入って、個々の自由時間をつくります。お礼は、有償ボランティア代+ゲーム1個 です。

詳細と応募先は、私のtwitterアカウント @putsbee までDMをください。

ご応募お待ちしております。

(万が一、応募が他の方と被った場合はご容赦くださいm(_ _)m )

映画音楽になどるボードゲームアートワークの相関

映画の音楽は、作品の主役ではないんですよね。作品を引き立てるための音楽なので、基本的には映像より前に出ない。基本的には引き立て役なんですが、画がいまいちとか、役者の演技がいまいちとかの場合には、音楽を前に出して他の要素をカバーすることもあります。でも、それは例外処理でなければいけない。あまりに音楽が前に出ちゃったら、映画の体裁を整えた”音楽作品の映像”になってしまいませんか? ストーリーの流れとして時折り前に出ることはあっても、あくまでちょい役に留めるのがベターなんですよね(と、習いました)。

映画とボードゲームは異なるんですけれど、映画音楽みたいなことがボードゲームのアートワークにも当てはめることが出来て、あまりにアートワークが主張しすぎると、ゲームの面白さは関係なくアートワークだけで手に取られます。むしろ、ボードゲームの方はアートワークのパワーを強くしてガンガン売れた方が短期的なマネーとしては良いです。けれど、アートワークに偏って”主従の主”が負けてしまうと、長期的なマネーを考慮したときに果たして良いと言えるか、疑問なんですよね。後の作品でのリピートが減る懸念がありますよね。

まー、かといって、今この作品を手に取られないことには、後の作品云々もないんですけれど。バランスですよね、結局のところ。

映画「ジオラマボーイ・パノラマガール」を見逃したから

Movix京都の入り口付近で「ジオラマボーイ・パノラマガール」なる映画の掲示を見かけ、良さそう今度観に来よう と思い、観るのを忘れて見逃してしまいました。気づいた頃には上映が終了していた。

で、気になっている感を引きずり続けるのは嫌なので、原作マンガがあることを突き止めてネットでぽっちしました。

今、手元にあります。